追想
わが青春の裕次郎 ~ 甦る青春の日々 ~
奥田幸一(18回卒)
杵高3年時(昭和40年)別府国際観光会館(当時)で行われた「石原裕次郎全国縦断リサイタル」に学校をサボって観に行った。
現役(医療関係審査機関)を終え、10有余年になり半世紀以上前の出来事だが、今も鮮明に覚えている。
私達団塊世代は、テレビが未だ余り普及してなかった昭和30年代後半~40年前半 映画が全盛時代であり、杵築のグロリア映劇、大分市竹町西側の喜楽日活まで出掛け(当時姉がトキハ勤務で大分在住)日活映画を楽しんだ想い出がある。
そんな折、昭和45年石原プロ製作の映画「ある兵士の賭け」大分・別府ロケが行われた。
1960年(昭和35年)にアメリカ軍兵士(ジョン・アーン少佐)が別府市にある児童養護施設の白菊寮(現 「光の園」)の建設資金を賭けて、神奈川県座間市から別府市までの1300Kmを一週間賭けて歩き通す実話を映画化したものである。
このロケにボランティアとして手伝ったり エキストラとして参加し、その様子を大分合同新聞が連日報道し、それを本人宛に送ったが、後日直筆の礼状と色紙が届いた。
そのような縁で一層の裕次郎ファンが高じ、現役時代転勤で各地(横浜・札幌他)を巡りゆかりの場所を辿った。
横浜鶴見の總持寺、葉山森戸海岸の裕次郎灯台、札幌の時計台(♪)、小樽駅の4番線裕次郎ホーム、そして今は廃館となったが 裕次郎記念館を訪れた。
定年後は、平成21年7月に国立競技場で行われた23回忌法要と、平成30及び31年神戸で開催された裕次郎映画祭に出向いた。
大分に帰省してからは、毎年行われる「おおいた石原裕次郎を偲ぶ会」(7月17日命日に開催)に出席して30名程度の同志と歌い懇談している。そして最後に全員で「わが人生に悔いなし」を合唱しエンディング曲にしている。
コロナ禍で今年の開催は難しいが、石原プロ元社長 渡哲也も亡くなり石原プロの解散で寂しくなった今、想い出をトリビュートしたいと思っている。